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第7回「『二水記』を読む会」を平安神宮で開催しました。

  • 2025年11月3日
  • 読了時間: 3分

令和7年11月3日、第7回「『二水記』を読む会」を平安神宮で開催しました(協賛:弁護士法人SACI京都支部・四条烏丸法律事務所)。

出席者:下坂守様(講師)、鷲尾隆久様(平安神宮宮司)、米澤洋子様(京都橘大学)、寳光井英彦様(祇園信仰研究会)、西山剛様(京都府京都文化博物館)、山科言親様(衣紋道山科流)。書記・北原理咲子(京都大学大学院文学研究科修士)。


(結果概要)『二水記』を読む会 第7回概要

前回の続き、永正元年(1504)4月の記録から見ていく。


○賀茂祭 —永正元年4月25日—

この日は賀茂祭である。賀茂祭は賀茂社(現在の上賀茂神社・下鴨神社)の例祭で、「葵祭」とも称される。現在の祭日は5月15日となっているが、近代に入るまでは4月の2番目の酉の日と定められていた。記事からは、宮中において酒宴が催されていたものの、祭礼そのものの儀式は実施されていなかったと考えられる。また、「為常御所堂上歌」との記述が見えるが、常御所は堂上家にのみ昇殿が許される空間であり、この点に記主である隆康の身分意識を読み取ることができる。経済的に恵まれた状況ではなかったが、公卿としての矜持を維持しようとする態度、ひいては堂上家としての共同体意識の表れとみることも可能であろう。


○伏見殿蹴鞠 —永正元年4月26日—

この日は伏見殿(竹園)において蹴鞠が催されている。伏見宮は蹴鞠の家として知られ、公家の家業が明確に成立する近世以前から、すでに家道として認識されていた。

こうした蹴鞠の集まりは、貴族間における重要な社交・情報交換の場としての性格を有していたと考えられる。


○当番 —永正元年4月30日—

この日は隆康が当番として宮中に祗候していた。前回の当番は24日であり、当番はおおむね6日間隔でローテーションしていたとみられる。


○月朔御祝 —永正元年5月1日—

この日は宮中において朔日の御祝が催されている。山科家では、毎月この御祝に際して酒肴を献上していた。


○月次御楽 —永正元年5月15日—

この日は宮中において月次御楽が行われた。月次御楽は月末に行われることが多かったが、必ずしも一定していなかったようである。朗詠では隆康が発言の役を務めている。発言とは最初に発声する役であり、いわばリードボーカルのようなものである。また、篳篥は前回同様に不在であった。演奏後には、いつものように番衆所で酒宴が催されている。


○水無瀬英兼参内 —永正元年5月27日—

この日の記事では、水無瀬英兼の参内が脇書で記されている。水無瀬家の成立は、承久の乱後、後鳥羽院が自らの離宮である水無瀬の地を与えるとともに、後生の弔いを遺言したことに由来する。英兼の参内は、代替わりに伴う本領安堵への謝礼であったと考えられる。


(以下、次回)

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